2007年 05月 16日
たまにはメールください |
母のために生まれてきた。
2、3才の頃、息子が私に言いました。
なんてかわいいやつだろうと思いました。
今になってそのことを言うと、若気の至りですと、頭をかきます。
まあね、そんなものです。
でも、あのときの彼の言葉に嘘はないと思うのです。
本当にそのときの彼は私のために生まれてきたのだと思います。
当時私は、染織作家になりたいと思っていました。
山の中の廃屋のような一軒家で、来る日も来る日も機織りに明け暮れていました。
茅葺きでいろりがあってそんな家に住むことにあこがれていました。
屋根は茅の上にトタンが葺いてありましたが、思い通りの家でした。
昼間機織りをして夕方五右衛門風呂を沸かして入りました。夜はいろりにあたっていました。
今もそうですが、夫は町で仕事をしていまして、離れて暮らしていました。
毎日、とぎすまされたような生活で気持ちがピュアーになりすぎていたかもしれません。
そのままの生活が続いていたら、ちょっと危なかったような気もします。
そんなときに息子が予期せず生まれました。
機織りをやめて息子の出産に備えました。
出産後、織りかけの着物だけは織ってしまいたいとまた機に向かいました。
はいはいをはじめて、息子は織機のとこまできて、やっとこさ織機の柱につかまって立ち上がります。が、すぐにうしろにどさっと倒れてしまいました。
何度も何度も倒れてしまいます。倒れても痛くないように座布団を起きました。
その着物が織りあがってからは、彼と一緒に遊びました。
本を読んで、
柿の落ち葉の中にふたりでうもれて、
どろんこになって、
電車さんごっこをして、
大きな段ボール箱にはいって。
彼のおかげで、小さい頃をもう一度やり直せたようでとても楽しかったです。
そのとき、
息子は実は幼かった頃の私で、息子が私なら、そこにいる私は母です。
私は幼かった頃の私と当時の母と同時に体験できました。
すべてが息子のおかげです。
一人、機織りを続ける私をみてまだ生まれていない息子が、このままじゃいけない、
と思って私の前に現れたのです。
母のために生まれてきたといったあのときの息子は、そのとおりだったのです。
でももう彼の役目は終わりました。だから彼はそのことを忘れてしまったのです。
彼はかれのために生きています。
彼の人生を思いっきり生きてほしいと思います。
私も私のために思いっきり生きます。
息子に教えられたことはたくさんあります。とっても感謝しています。
子育てをはじめて、
私は、着物ではなくもっと身近に使えるもの着るものをつくることに向かっていきました。
作家ではなく、作り手になることにしました。
当然ですが、息子は自分のために人生をエンジョイしてほしいとおもいます。
大学生活はたのしいかもしれませんが、たまにはメールください。少しは近況報告をしてください。
母のささやかなお願いです。
by henpen
| 2007-05-16 06:40
| 子離れ