2007年 06月 17日
森と話しましょう |
森を散歩して、
唐松や大きな木をずうっと下から上まで見上げていったとき、葉っぱを茂らせた木々が発しているものを感じました。
これが木の言葉、森の言葉だと突然思いました。
その発しているものを受けとめたとき、私は木と話をかわしたんだと思いました。
空高く伸びた唐松を抱いて、
木のてっぺんまで意識がたどりついて、唐松とおんなじ高さになったとき、
きれいに咲いた花を見てきれいだって思えたときは、花と話してるんですよね。
こんなことをふと感じてずうっと木々を見上げていたら、雨が降ってきました。
夕立がやってきそうです。
いつもなら一目散に走って帰るんですけど、その雨も空からの言葉のように思えて、
雨の一粒一粒を感じながら、落ち葉がたっぷりつもって肥えた腐葉土の道を歩きました。
雨はどんんどんふってきてびしょぬれなんだけど、
その雨が、濡れてるってことが、会話なんだと思うととっても気持ちよくて、
びしょ濡れになっていることがとってもうれしくなってきました。
それから、少し雨をよけて大きな木の下にシロといっしょに座って、いろんなものとの会話について考えました。
シロって呼んだとき、シロはうれしそうにしっぽ振ってやってきます。
この犬、呼ばれてるってわかるんだ、といった馬鹿な人がいましたが、ご存じのように犬は吠え方だけじゃなく体中で言葉を発しますよね。
田舎の古い壊れかけた民家に住んでたことがあります。
ほとんど誰とも接しないで、ただ毎日機を織っていました。
敷地内にあった石仏とだけ毎日話を交わしていたんです。
日々の思いを話すとその石仏は、当然なにも言いませんけど、柔和な笑顔を返してくれます。
石仏と話すなんて、ちょっと精神的におかしかったのかな、
毎日機ばかり織って、山ん婆みたいな生活して、私はそれなりに楽しんでたんだけど、
きっともう限界で石仏との接点でなんとか、精神を維持してたところもある、とも思ってあんまり誰にも話しませんでした。
その後、こどもが産まれて生活が一変して、石仏と対話できなくなってしまいました。
古い大きな家では、夜になると様々音がしました。
静かな闇のなかで音は倍増して響きます。
柿が実ってトタン屋根に落ちる音、
屋根裏のもとお蚕部屋をねずみが走り回る音、
原因の解る音もあるのですが、解らない音もたくさんありました。
ばしんと木がはじけるような音とか、柿の季節でもないのに屋根になにかが落ちる音とか、
とにかく、いろんな音が闇の中にありました。
今思えば、これも闇と私の会話だったのかなと思います。
今日から、私はいろんなものと会話できると思います。
また、石仏とだって話せます。それは恥ずかしいことでもなんでもないんです。
これからは誰にだって石仏と話してますって言える。
森と話してますって言えます。
きっと、みんないろんなものと話しているんですよね、
ただそれに気づいてるかどうかってことじゃないでしょうか。
by henpen
| 2007-06-17 21:01
| 森の中